古代の鎌倉を探しに行きたい

寺社仏閣

鎌倉最古の神社「甘縄神明社」に行ったことがない。

鎌倉駅から御成門商店街を通り311号線に出て、六地蔵交差点を渡り、長谷方面を目指す。
「甘縄神明社」までの道のりにも見どころが多い。
六地蔵から長谷までの通りにおしゃれな建物が随分と増えてきた。
それでも昭和の面影を残した木造建築なども多く残っている。
和田塚駅方面への分岐点のレンガ造りの古風な建物や、昭和時代の庄屋作りの米屋など、きっと保存目的で残しているのだろう。
新しい建物、古い建物が共存し、調和している風景が心地よい。

一つ奥の通りには作家吉屋信子が住んでいた屋敷が保存されている。
そういえば鎌倉は多くの文士や文化人が居を構えていたところでもあるな、と思って少し先へ行くと「鎌倉文学館」の案内があった。その名前は知っていたのだが、たいしたところでもないだろうと思っていたので、今回も予定には入れていなかった。
ところが、文学館の入り口から奥を覗くと、手入れのされた木々を縫って緩やかにカーブする上り坂になっていて、その先に何かありそうな期待感を持たせるアプローチになっている。ついフラフラと誘(いざな)われてしまった。
さらに料金所(ちなみに300円)から先にはトンネルがあり、益々別世界があることを期待させてくれる。
巨木の間から見え隠れする文学館。そして文学館の前に広がる芝生の庭に出て、左を向くと一気に視界が開け、眼下に由比ガ浜の海岸を一望できる。
文学館に展示されている文士直筆の原稿や、愛用していた万年筆などを見る。
字は人となりを表すというが、ほんとうだなと思う。
「なだいなだ」はとてもていねいな楷書で書いている。高見順は読みづらい。小津安二郎のメモ帳には細かな字で几帳面に構想を書き記している。
与謝野鉄幹の俳句の筆書きは字というよりも絵のようだ。
鎌倉文学館を拝観できたことは、予定外の収穫であった。

そして、いよいよ今日の予定である「甘縄神明社」である。
石の鳥居をくぐり、左手に手水舎、石段を昇ると向拝のあるりっぱな拝殿がある。拝殿の先のさらに上に瑞垣で囲まれた本殿がある。拝殿と本殿は石の間でつながっている。石の間の先に階段があり、昇りきった所が本殿である。
もちろん、人が入るのを許されているのは拝殿までである。
拝殿と本殿の千木、鰹木も立派だ。
拝殿前からは由比ガ浜、材木座海岸、逗子マリーナや森戸方面が一望できる。

なぜ、ここに建てたのか。
この場に立ってこの風景を見ていると、理解できそうな気がする。
そういえば、この近くにある長谷寺からの眺望も素晴らしかった。
どちらも山と海をつなぐ場所に建てられている。

ところで、古代相模の国には8つの郡衙が置かれていた。その一つである鎌倉郡衙(かまくらぐんが)は、今の御成小学校付近に置かれていた。
古代の鎌倉郡衙には沼浜郷、荏草郷、鎌倉郷、梶原郷、崎立郷、方瀬郷、尺度郷、大島郷の8郷が存在していた。
すなわち、いまの逗子、腰越、藤沢市柄沢、鎌倉市梶原、戸塚区矢部の大島山辺りである。
鎌倉郡衙は、古代の東海道の道沿いにある鎌倉郷に設置された。古代東海道はさらに三浦半島を横断して走水へ続き、そこから海路で安房へ渡り、上総、下総、常陸へと続いていた。
きっと鎌倉郡衙は、安房の国から先へ続く諸国との結節点としての役割があったのかもしれない。
安房方面に行く人々は、いよいよここからは海路になるという緊張感をもったかもしれない。
国を繋ぐ結節点と海路ということが鎌倉を特別な場所にしたように思われる。
極楽寺の切通しがなかった当時は、今よりももっと苦労をして稲村ケ崎を超えて鎌倉に入り、その入り口の陸と海を繋ぐことを意識する場所に長谷寺と甘縄神社が建てられた。
甘縄神明社からの景色を見て、1300年前に建てられた甘縄神明社に思いを馳せたのでした。

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この文章は2019年1月12日に書きました。
この文章を読み返して、あらためて私が鎌倉の歴史に向き合う視点を再認識しました。
上記の文章を書いたとき、奈良時代の律令国家体制における鎌倉の地理的な重要性の視点から鎌倉を眺めてみようという思いがありました。
さらに、奈良時代の古代東海道にある相模国の鎌倉郡衙の時代を出発点にして、そこから現在に連なる鎌倉の歴史を追ってみたいという思いもありました。

鎌倉郡

ド素人の私が、そんなに深く掘り下げることは無論できないですし、そこまでがっぷりと四つに組み合うつもりはありません。

ただ、鎌倉について素朴な疑問がいくつかあります。
例えば、
杉本寺や甘縄神社はどうして今の地に建てられたのだろうか。
古代東海道は鎌倉から走水までどのようなルートをとっていたのだろうか。
古代、鎌倉に入るにはどのような道(ルート)があったのだろうか。

その疑問に対して、自分なりに多少でも納得がいく何かが見つかればいいな、という個人的な興味です。
確かな答えは見つからないことは分かっていますが、いくつかの可能性を想像する楽しみがあります。

鎌倉散策は2月に円覚寺に行ったきりで、遠ざかっていますが、気候も涼しくなってきたので、
まず「鎌倉の古代東海道の道を辿る」をテーマにして、散策を再開しようと思います。

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