2017年3月3日から4月30日(実質4月28日)の約2カ月、派遣というものをほぼ初めて経験をした。
初日は、数々のソフトをインストールし、パソコン環境の設定を行う。
アカウント設定、outlook、サブバージョン、バックログ、レッドマイン、メール誤送信防止ソフト。これらは、仕事を進める上で欠かせないツールである。
まず、インストールに四苦八苦をする。聞かないと誰も教えてくれないし、聞いても懇切丁寧に教えてくれることはない。皆、とても忙しく教える時間もとれない雰囲気。そもそも誰に聞いてよいのかもわからないし、声をかける雰囲気ではない。
それから、ツールの使い方。使い方は、当然知っていて当たり前。それが前提。
だから必死に自分で覚えるしかない。
二〇さんに私が担当する業務の説明を受ける。
そして、聞いた内容をER図やテーブル関連で情報を確認する訳だが、とても難解なER図で、家に持ち帰り何度もER図を確認して、おぼろげながら理解するのに4、5日はかかっただろうか。
必死に覚えたデータベース構造も3月末に大々的に変更されることになるが、ここでやったことは無駄ではなかった。
朝会、夕会で進捗確認、連絡事項の展開が朝20分、夕方1時間強ある。
3月20日ころまでだろうか、自分が行うことの作業量が読めていないこと、また、作業を進める上での課題等の把握ができない状態のため、状況を説明するだけで、報告の形になっていない。〇谷さんから厳しい指摘を受けるのもこのころである。
関連品をひとつ作り終わった3月20日を過ぎたあたりから、まがりなりにも報告の形になってきたと思う。
自分の担当分で精一杯のため、IF※の連携の課題点の問い合わせなどが来ると?マーク。
※IF:他セクションとのインターフェースの部分
メールでのやりとりが大事で、頻繁にメールチェックをしていないと、大事な情報への対応が遅れたりする。例えば11時頃のメールに本日13時から時間が取れたので内部レビューします、などがくる。
レッドマインの動向も常にチェックをしておく。
他人ごとと思っていたら、突然自分にチケットが回ってきたりする。
ドキュメントの整備もとても大切だ。レビューの記録、成果物の保管など決められたルールに従い行うこと。そして、ドキュメントの書き方についてもフォルダ内の説明書に書かれていたり、最新情報はレッドマインに出ていたりする。
常にアンテナを張っておかなければいけない。
また、大〇さん、二〇さん達の猛烈な仕事ぶりには、ただただ、驚くばかりである。
メールの送信時間が0時過ぎは当たり前、午前1時頃のこともざらである。
どうやって帰宅し、翌日出勤しているのか。
□□□□社(依頼元の通信販売会社)への査読依頼が期限厳守であるからだろう。
責任者へのプレッシャーは大変なものである。
そこへいくとわれわれは、まだ、責任ということでは、自分のミッションだけなので限定的だ。
基本設計段階のためか、システムの性能や処理の根幹となる部分が、未確定であることが気になった。
例えば、プロセス実行明細の処理のルール、履歴テーブルの処理のルールは、ほぼすべての処理に共通の部分だが、ボヤーとしていて、皆、きっとこうするのだろう、とう思い込みで基本設計をしていた。
これからこの部分に、多大な労力を費やすのだろう。システム性能の良否に直結するので、ここの設計・仕様ミスは許されない。
基本設計のために派遣に来ている人達は、何年間も、このような経験をしてきた人たちが多いので大方、無難にこなしていたし、対応も的確であった。新たに業務を振られてもすぐに対応していたし、設定された期間が無理なら即座に作業量の見積もりを伝え応援を入れてもらうなり、的確な対応をしていた。(経験の浅い人は、それができない)
中でも、私とほぼ同じ時期に入った種〇さんは、私の手本となる人である。
Webフロントの高い技術を持っている人のようだ。また、DBなどの技術も人並み以上に持っている。そして、理解力が高く、自分の中でイメージを持てる人だ。そのイメージと□□□□社が持っているイメージを埋めるための表現力(言葉、図など)も持っている。持っているというより埋めるために必要なことを必死に考えることができる。
特にユーザーの要求がなんであるかを捉えることに注力している。
そのうえで、困難な要求にたいしては、代替案の提示、別予算になる場合の説明などができる。
長〇さんも手本になる人だ。
社内で勝手にエンティティが変えられて、長〇さんのシステムに影響がでたことがあった。長〇さんは、その担当者に変えた理由を聞いた。聞いたうえで、変更になると画像処理でこういう処理をしていて、このエンティティのこの情報を使っているが、エンティティが変更になるとそれができなくなることを理路整然と説明する。そうすると、相手も同じ問題点を共有してくれる。ここが、大切なのだ。これが、長〇さんにはできる。
よく私は長男から「怒りで解決できる問題はない」とたしなめられたが、まさに長〇さんは理性の人だ。もちろん、怒りが無い訳ではなく、長〇さんは怒りを理性で抑えて対応している。
モノづくりの手法を学んだ。
基本設計での参画という、全工程の一部分だけでの経験で断定することはできないかもしれないが、おそらくその手法は全工程にあてはまることだと思う。
ドキュメントはすべて電子化され、そのドキュメントもレッドマイン上で日々更新されていく。
ユーザー(□□□□社)とのやりとりもしかり。
機能・作業項目の的確な洗い出しと、工数の算出。
毎日、2回、進捗確認と連絡事項を流し、さらに情報の共有を深め、遅れ等への迅速な対応を図る。
ユーザー要望を査読前と査読後に切り分け、査読後は「変更」として別工数で見積る。
〇谷さんのように全体の工程の進捗を進める上での、体制を管理する人(全体工程、人)、大〇さんのようにチーム内の日々の工程を管理する人、二〇さんのように個々の機能の工程管理と内部レビュー等をして品質管理する人。基本設計をする人。
ユーザーへの査読レビューでの指摘事項を解決し、完了した段階をもって「完了」とする。
5月から詳細設計段階に入った。基本設計に携わった人の約4分の1の人は4月末までだが、その他の人はそのまま継続する。そして、4月末までの人を大きく上回る人たち(10名くらい)が詳細設計に参画する。その人たちは韓国人が4名くらい。中国人もそのくらい。その他は20代が中心。詳細設計や、プログラミングは、コミュニケーション能力よりも最新の技術の理解力や集中力が求められるということか。
技術力の高さはそれほど求められないようである。それは、作り方がほぼ統一され、難解な部分の設計は基本設計に盛り込まれているという前提だからだろう。
そして、私が勤めていた百貨店とはあまりにも違う企業風土への戸惑い。
「自力」の部分がとても強い。こちらから積極的かつ具体的に行動しない限り、冷たいと思うほど相手からの支援は見込めない。
たった2カ月であったが、とても良い経験をした。
「やだな」と思ったことはない。「おもしろ!!」と思うことばかりであった。
でも、自分の技術力のなさ、経験のとぼしさを痛感した。
大〇さんや二〇さんのような仕事の仕方は、私にはできないし、望まない。
この2カ月間、自由な時間がほとんどとれず、休日も勉強に明け暮れた。
プールにも一度も行っていない。(敢えてプールへ行くことを絶った)
正直、2カ月でホットした。父のこともあるからだ。
すべてを放り投げて仕事に没頭することは、私の本望ではない。
職人のように技術を持ち、受けた仕事をキッチリこなしやり遂げる。
そして、定年は自分自身で決める。できれば生涯現役でやりたい。
これが希望であるし、私の定年後の仕事に対する思いの原点。
何より、父の事、長男や次男のこと、唯や柚のことにもシッカリ向き合っていけること。
これを犠牲にしたくない。
それでも62歳までは、修行の時期と位置付けたい。
なるべく多くの開発経験を積み、技術力、対応力を高めていきたい。
信頼も得られるようなりたい。
△△△△社(開発元の会社)での開発経験を通じて、当初私が思い描いていたプログラマーとしての技術力で生きていくことが、現実的にはかなり厳しいということがわかった。
コーディングだけなら海外で行っているのが実情である。
特に、中、大規模の開発の場合はそのようである。
Javaにはフレームワークという開発ツールがあるので、一定のレベルの技術があれば、誰でもコーディングができるのだ。
小規模、または特殊な分野ではプログラマーとしての活躍の場はあるのかもしれない。
これからの仕事への対応の心構え。
現在私が所属している会社の仕事に優先順位をつけて臨もう。
- 派遣
- 企業実習(講師)
- 授業講師
- 補助資料作成
派遣をやりたいことを訴え続けよう。
しかし、2.以降の仕事を断ることはやめよう。
受け持った仕事にシッカリと取り組もう。
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上記文章は、60歳で定年退職後、大手通信販売会社のシステム開発プロジェクトに参画した経験を、プロジェクトの参画終了直後に書いたものです。
当時、私はソフトウエアの開発技術を身に着けて、フリーランスとして独立をしたいと思っていました。
ほんとうに運よく、大手の通信販売会社のシステム開発プロジェクトに参画することができました。
通信販売会社が扱う大量の商品情報、取引先情報、倉庫の在庫情報などを管理するシステムです。
しかも、基本設計という願ってもないプロジェクトに参画することができました。
現役の時、百貨店勤務であった私にとって、システム開発のプロジェクト参画は、初めての経験でした。
すべてが新鮮で、身に着けることが山ほどありました。
この2か月は、朝は誰よりも早く出社、終電で帰宅すること数度、土曜日の休日出勤、平均睡眠時間は2、3時間でした。
それでも、辛いと感じたことはありませんでした。
新しいことを吸収し、問題を解決していく面白さにワクワクしていました。
何とか期日内に与えられたミッションを達成し、私が設計したパートのコーディングを担当する20代前半の若手に引き継ぎをすることができました。
2か月の経験を通じて、ワクワク感はありましたが、知識不足、技術不足、経験不足を痛感しました。
システム開発をフリーランスで続けることの難しさを身をもって体験しました。
しかし、当時は、それでもあきらめることなく、とにかく62歳までの今後の約2年間は、必死に模索してみようと決意したのです。
たった2か月の経験でしたが、私にとっては、濃密で得難い経験をすることができました。