町内のウォーキングの会 高齢化で絆に変化?

10月13日、町内の老人会で川沿いを歩くウォーキングのイベントがありました。
ウォーキングが終了したら、引き続き町内会間で、老人会を行うというスケジュールだったようです。

父は、毎回、参加してきました。
ただ、96歳となった今年あたりから全行程を歩き通すことがむづかしくなり、途中のベンチに腰掛けて、参加者が折り返して帰ってくる頃を見計らって、集合場所に戻るようになりました。

翌日の14日(月)に
「昨日のウォーキングの話を聞かせて。」とその時の様子を聞きました。

何故か、父の話しぶりは、寂しそうでした。

内容は、こんな感じです。

「町内会館に1番についたんだ。
皆にお菓子を配る担当のIさんとOさんだけは早く来ていて、会館の扉が開いていたので中に入ってみんなが集まるのをまっていた。
ウォーキングの時は、以前だったらは川沿いに降りる会館の前の扉を開けてくれていたんだが、今は開けないんだ。
だから、ぐるっとバス通りに出て、川沿いを歩いた。
2,3人のグループになって歩く人が多いんだけど、グループごとに行動して、バラバラになって歩いて行くんだな。
私は、あずま小屋を渡ったベンチに腰掛けて、折り返して帰ってくる人を待っていたんだ。
ベンチの周りに草が生えているから、ボランティアで草取りをしながらな。
最後のグループの人たちが来るのが見えたんで、私もコンビニの隣の公園へ行ったんだ。
公園が集合場所だろうから、そこに皆が集まっていると思ってな。
そしたら、誰もいないんだ。
それで、会館へ行ったら、もうイスにみんがが座って老人会をやっているんだ。
老人会は、半分くらい進行していたな。
老人会を始める前に、私がいないことに気が付かなかったんだろうか。」

グループがバラバラの行動をとり、父の存在に誰も気を止めてくれないことに、寂しさを感じたようです。

「まず、集合したときに点呼を取らなかったの?」
「なかった。」
「普通、最初に点呼を取って参加者を確認し、最後に集合して点呼をとってみんなが無事かどうか確認するのが普通なのにね。」

老人会の参加者は男8人、女10人の18人でした。
みんなかなりの高齢になってきました。

少し前でしたら、最終点呼を取って人数が合わなければ、ウォーキングルートを探しに行くこともしていました。
そういうことが、出来なくなったのかもしれません。

「きっと、超高齢になってきたので、点呼を取ったり、無事を確認したり、会館の前の川沿いに降りる扉を開けたり、できなくなってきたのかもしれないよ。」
「そうだな。そうかもしれないな。」

父の町内は、古くからの人が多く、絆もそれなりに強かったと思います。

でも、50名以上いた老人会のメンバーも既に50人を割っています。
新しく加入する人は少ないので、人数は減るばかりです。

絆が薄まってきたことへの寂しさは、孤独感でもあるようです。

齢を取ることは、こうした孤独感、寂しさと向き合っていくことを意味するのかもしれません。

そうした、心の空洞をどこまで埋めてあげられるか分かりませんが、私としては、いままで通りに接していきたいと思います。

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