急激な認知・身体機能の低下にとまどう

父は、一人暮らしの時に比べ、急激に認知機能と身体機能が低下してきています。

時間や曜日の感覚がずれたり、錯綜します。
新聞の切り抜き、食事、トイレ以外はほとんど寝ています。
トイレにいくのも大儀で、尿瓶(しびん)を用意してくれと言います。

一人で生活していた時は、私が使うことを勧めても、決して尿瓶を使うなどと言いませんでした。

今回は、父が使うと言っても、尿瓶を使えばトイレに立つことさえしなくなり、一層衰えが進行することを恐れ、「頑張ってトイレに行こう。」と叱咤しています。

そんな父を受け入れなければいけないという思いがある一方、ついついイライラして、強い口調で父に接してしまう自分がいます。

今日、こんなやりとりがありました。

「明日、ケアマネジャーのKさんが来るからね。」
「そこなんだよ。」と父は言いながら、指でお金の形を作りました。
「Kさんが来るから、食事がとれないんだ。(食事を摂れなくても)結局、金だけとられるんだから。」

私は、父が言っていることを理解できず、デイサービスの料金のことを言っているものだと思いました。

「Kさんは、食事とは関係ないでしょ。」
「いや、関係あるんだ。お金が出ていく。」
「お金の話をするけど、いったいおじいちゃんは何をしたいの?
デイサービスへ行くお金がもったいないから、デイサービスをやめたいの。
それなら、すぐに断るから。」

イライラでついつい、感情的になってしまいました。
父に動揺と不安を与えてしまいました。

父の話をよく聞くと、<明日はデイサービスに行くので、Kさんとの面談が重なると、デイサービスのサービスを受けられないのに、料金だけ発生する>ということを言いたかったのです。
Kさんとの面談は明日で、デイサービスは明後日なので重ならないのですが、父には曜日が混とんとなっているのです。

それを知った私は、大きく膨らんだ風船に針で穴を空けたように、急速にしぼんでいきました。
そして、自分に対する嫌悪感に包まれたのでした。

衰えていく父を全部受け止めていく、という覚悟が足りません。

私の基準で父を型にはめようとして、その型におさまらないとイライラする。

父が見る幻想も、父の中では現実なのですから、そうした父を全部受け止めて、父に接しないといけないのですが・・・・

これから急速に進むであろう父の衰えに、全部受け止める、という覚悟が必要です。

昔の父を知る身としては、衰えていく姿を見ることに切ない思いもありますが、一方で、こうした経験をさせてくれるまで長寿でいることに、感謝の思いもあります。

家族のみんなも、一生懸命、父のことを思ってくれています。

ここは、めげずに、前を向いていくのみです。

さあ、これからどんなことが起こっていくのでしょうか。
しっかり、向き合っていきましょう。

タイトルとURLをコピーしました